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大阪地方裁判所 昭和34年(ワ)1497号 判決 1968年5月22日

原告

芳本六蔵

代理人

清水嘉市

復代理人

喜治栄一郎

被告

株式会社牧浦製作所

代理人

南利三

山口俊三

復代理人

南逸郎

駒杵素之

上村昇

主文

被告は原告に対し、金三〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年五月二一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決の第一項は原告が金一〇〇、〇〇〇円の担保をたてたときは仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告が別紙目録記載の土地を所有し、昭和二五年一二月、同所に家屋を新築してこれに居住し、且つ、その一部で堺打刃物大工道具等の販売業を営んでいること、被告が右原告所有地に隣接する同所七番地(以下土地については全て番地のみにて表示する)及び九番地を所有し、同所上に工場を建て鍋、釜、フライパン等家庭用金物類の製造を行なつていることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告所有家屋は六番地のうち公道に面した北東部分に建てられた、木造瓦葺二階建居住一棟、床面積1階90.90平方米(27坪5合)、同2階65.38平方米(19坪5合8勺)であり、九番地と六番地との境界線より東へ約八米離れているが、その間に前栽、風呂場が設けられているほか、六番地西部分に木造トタン葺平屋建の倉庫一棟があることが認められる。

二<証拠>によれば、被告代表者である牧浦太一は戦前から鍋、釜、フライパン等家庭用金物類を製造していたところ、昭和一七、八年頃、原料の供給が途絶えたため一時操業を中止していたが、終戦後これを個人企業から株式会社組織に改めるとともに、昭和二三年四月、操業を再開したこと、戦前九番地上にあつた建物は強制疎開のため取毀されて空地となつており七番地の建物だけ残つていたが右操業再開に伴い九番地上にも工場を新築拡張し、それ以来昭和二九年頃まで徐々に工作機械を増設していつたこと、昭和二八年一月、被告は別紙添付見取図(以下単に見取図という)(ハ)点附近に五〇馬力モートルを使用する圧延機一台を設置し、更に、その圧延され硬直した鉄材を焼きなおすために、右圧延機横に重油炉を設けてこれらを使用し始めたところ原告ら附近住民から右圧延機の運転による振動及び騒音、並びに、重油炉の煙突から大量に飛散する煤煙につき抗議を受けたので、大阪府庁環境衛生課員の勧告に従い圧延機の周囲に幅一尺深さ五尺の暗渠を堀り振動を防止しようとしたが目立つた効果もみられず結局昭和三一年四月これを撤去して大阪市西成区にある被告の訴外工場に移転したこと、また重油炉については煙突を鉄製で高さ約一五米のものに取替え、その後見取図(ニ)点附近へ移設したがなお苦情が絶えなかつたので、昭和三二年、これも撤去したこと、その頃以後は被告の本件工場に設置されている工作機械に増減はなく、現在約300坪(約991.73平方米)に及ぶ本件工場内には、クランクプレス(三〇馬力)、フランションプレス、パープレス等プレス機械類が大小あわせて一五、六台、旋盤六台、ボール盤三台その他鋸盤、フライス盤、セーパー、グラインダー等が設置されていること、被告工場が毎日午前八時に作業が開始され平常時においては午後五時に、残業のある日は大体午後七時頃終了していること、鍋類の製造はプレス機械により鉄板を打抜き型押をし、旋盤で仕上げペーパーで磨くのであるが、主としてクランクプレスの運転時に数秒ないし十数秒間隔で断続的に振動及び騒音が発生すること、製品を研磨する際発生する磨滅粉は胸部疾患の原因になるので被告工場では従業員の健康管理上特にその飛散防止に努めレンチレーダーでこれを吸引せしめ処理していること、被告工場のうち原告所有地に面する九番地東南部分の側壁(見取図の(イ)、(ロ)両点を結ぶ直線に沿つた側壁)は、地表から約三米の高さまではモルタル塗の壁であるが、その上部で屋根までの間は明取り及び通気用のガラス窓、屋根は波型のトタン板になつているにすぎないため騒音が流出しやすいこと、が認められ右認定に反する<証拠>は前掲証拠に照して容易に措信しがたい。

三<証拠>を綜合すると、

(一)  前記五〇馬力モートル使用の圧延機が被告工場で運転され始めた頃から、被告工場の作業時間中原告家屋では、被告工場に近接した部屋は勿論それとは反対側の公道に面した部屋や店舗のガラス窓にまで響く程の横揺れの振動が絶間なく続き、そのため屋根瓦がずり落ちたり、風呂場、洗面所のタイルが割れることがあつたこと、右圧延機が発する騒音は後記認定の、昭和三五、六年頃のプレス機械による騒音に比べ一層激しく、原告が顧客と商談することを妨げられたり町会の寄合いもできない状態であつたこと、又、重油炉の煙突は当初は背が低く土管を継いだだけの粗末なものであつたためこれから飛び散る煤煙が西風に吹かれて原告家屋内に流れ込み、居間寝室等の畳や、金物、大工道具等の商品が多数汚損し、このため盛夏においても窓を開放することができなかつたこと、その後原告から抗議を受けた被告が右の煙突を前記のとおり改善したためその程度は軽減されたがなお煤煙の流入は止まずこの状態は右煙突が撤去された昭和三二年頃まで続いたこと、右期間中原告及びその家族、従業員らはこれら振動、騒音、煤煙のため日中休息をとることもできず不快感と精神的不安定に悩まされ続けたこと、

(二)  原告は、被告が昭和三二年までに右の圧延機及び重油炉煙突を撤去したのでこれらによる振動、騒音、煤煙の被害から解放されたが、被告工場の操業再開以来増設拡充され続けていたプレス機が発する騒音及び振動はなお依然として原告家屋内に伝播してくること、鑑定人竹内竜一が昭和三六年一月に測定したところによると、被告工場の作業に原因する原告家屋内での昼間の騒音レベルは、被告工場側に全面開放された部屋(以下A室と表示する)では建具開放時52.8乃至64.7フォン、建具閉鎖時44.1乃至52.7フォンであり、また被告工場側に大部分開放一部遮蔽された部屋(以下B室と表示する)では、建具開放時49.8乃至60.6フォン、建具閉鎖時41.6乃至53.2フォンであり、被告工場で特殊作業が行なわれる時は右の値から二、三フォン騒音レベルが増すことがあり、結局騒音レベルが六〇フォンを超えるのは、建具開放時において、継続時間につきA室が三五%、B室が一〇%程度であること、右騒音量はその後現在まで軽減されていないこと、

以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠>は前掲証拠に照して措信できないし、他にこれを覆すに足る証拠もない。

尚前掲証拠によれば、現在、被告工場のプレス機の運転による振動が原告家屋内でも感じられることが認められるが、その振動の強さの程度につきこれを認めるに足る的確な証拠はなく、又<証拠>によれば、被告が前記煙突を撤去した昭和三二年以後においても原告家屋内に黒い粉塵が流入してくることが認められるが、それが果して被告工場内に設置されている研磨機から発散されたものであるか否かについては、これを肯定するに足る的確な証拠はない。

四以上認定したところによれば、(一)昭和二八年一月頃から昭和三一年四月まで継続した前記圧延機の運転による振動及び騒音、(二)昭和二八年頃から昭和三二年まで重油炉煙突から飛散し流入した煤煙、(三)昭和三三年以降現在までのプレス機による騒音が、いずれも、原告がその家屋内において平穏且つ快適に生活を営む利益を侵害していることは明らかであるが、このような侵害も健全なる社会通念に照らし一般人が社会生活をする上で受忍するのが相当であると考えられる限度内にある場合には違法ではなく、これを超える場合に初めて違法性が具有されるものと解すべきである。そこで右の各種侵害行為が果して社会生活上一般に受忍すべき限度を超えているかどうかにつき更に検討する。

(一)  先ず昭和三年以降のプレス機が発する騒音についてみるに、大阪府事業場公害防止条例によれば、騒音の規制基準即ち許容限度は、工場又は事業場の敷地境界線の地表から高さ一米の箇所において、住居地域では昼間(午前八時から午後八時まで)六〇フォン、夜間(午後八時から午前八時まで)五〇フォン、商業地域及び準工業地域では昼間六五フォン、夜間五五フォン、工業地域では昼間七〇フォン、夜間六〇フォンと定められ、工場又は事業場の事業主に対し右規制基準の遵守義務が課せられている。そして原告所有地(六番地)附近一帯が遅くとも昭和二九年には都市計画法による住居地域の指定を受けていたことについては当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告所有地附近は被告工場その他一、二の街工場が散在するが概ね個人の住家が密集していること、原告家屋は東向きでその表は南北に通じる公道に面しており、右公道の両側には商店街が形成され交通は概して頻繁であつて、昭和三六年頃から交通規制を受け一方通行区域となつていること、原告家屋正面から右公道を北へ約五〇米行くと、これと斜めに交叉する国電環状線の高架軌道があること、原告家屋内で右公道上を運行する車両等に原因する騒音レベルは、建具開放時において六八フォン位、同じく国鉄環状線の電車通過時の騒音レベルは建具開放時において六四フォンであるが、その騒音は継続的なものでなくその頻度も少くて心理的には苦痛を感じないこと、が認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

ところで本件のように騒音防止につき公法上の規制基準が存する場合には、その設けられた趣旨、目的に照らし、原則として右基準を超えれば私法的にも一般人が受忍すべき限度を逸脱しており、逆に右基準に達していない場合には受忍すべき限度内にあると推定するのが相当であつて、ただ当該騒音の身体精神に及ぼす情緒的影響度、被害場所の地域性、被害者の職業や生活状態、土地利用の先後関係等の具体的事情にてらし、特段の事情が認められる場合には、右公法上の基準に一定音景を軽減し若しくは加重して受忍限度を定めるべきものと解すべきである。そして前記認定したところによれば、原告所有地附近は住居地域としてはやや喧噪な部類に属するとこは明らかであるが、この程度を以つてしては住居地域における公法上の基準である六〇フォンを修正して受忍限度を別個に定むべき特段の事情があるものということはできないから、原告が少くもその家屋内で受忍すべき音量は昼間において六〇フォンを限度と解するのが相当である。そうすると、被告工場のプレス機の発する騒音が昼間において、継続時間につきA室で三五%、B室で一〇%の割合で六〇フォンを超えて原告家屋内に侵入していることは前記認定のとおりであるから、その限りにおいて原告が受忍すべき限度を超えた違法な侵害というべきである。

(二)  昭和二八年一月頃から昭和三一年四月までの間続いた圧延機の運転による振動及び騒音は、原告家屋内で計数器等により測定されていないからその物理的な量を数値で表わすことはできないが、振動についていえば、屋根瓦をずり落とし、タイル壁に損傷を与え、戸、障子、ガラス窓を絶えず震わしめる程度のものであつたことは既に認定した。そのような振動が続く場合原告及びその家族らが日常家庭内で行なう会話や新聞雑誌等の閲覧、作業後の休息などに著るしい支障が生じ、強度の不快感と精神的不安定(いわゆるイライラした状態)を強いられたであろうことは経験則上容易に推測できる。また騒音についていえば、圧延機の運転によるそれは前記(一)で検討したプレス機によるそれに比較し一層激しいものであつたことは前記認定のとおりである。そうとすればこれらの振動及び騒音もまた原告として受忍すべき限度を超えた違法な侵害と解すべきである。

(三)  昭和二八年から昭和三二年までの間続いた煤煙による被害については、それ自体不衛生、且つ、不快であること多言を要せず、またこのため原告及びその家族らが盛夏においても窓を開放することもできずに苦しんだこともあつたのであるから、これもまた社会生活上受忍すべき限度を超えているというべく、違法というべきである。

五ところで先に認定したところによれば、被告は原告から、被告工場に前記圧延機及び重油炉が設置された後の昭和二九年頃からしばしば抗議を受けていたのであるから、被告工場の作業時に発する振動、騒音、煤煙が原告家屋内に違法に侵入し、このため、原告が従来享受していた平穏快適な生活が侵害され精神的にも物質的にも損害を蒙るであろうことは当然認識していたか、少くも認識することができたものと思われるところ、圧延機及び重油炉用の煙突はその後最終的には撤去したけれどもなお二、三年間使用を継続していたし、またプレス機による騒音については特に防音措置を講ずることなく従前同様使用を続けて現在に至つているのであるから、右は故意又は少くも過失による不法行為というべく、従つて被告は右行為により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

(一)  原告の財産的損害

<証拠>によれば、昭和二八年暮頃、被告工場の圧延機の発する振動のため原告方風呂場の屋根瓦がずり落ち、その修復のため三、七〇〇円を要したこと、昭和二九年同じく圧延機の発する振動のため右風呂場及び原告家屋内の洗面所タイルが割れたり浮き上つたりしたためその修理に二〇、〇〇〇円を出費したこと、昭和三〇年被告工場の重油炉煙突から飛散した煤煙により汚損された原告家屋内の畳の表替をしたところ、二〇、〇〇〇円を要したことが認められ、右認定に反する証人牧浦一夫の証言は措信できないし他にこれを覆するに足る証拠はない。

また<証拠>によれば、原告及びその子である訴外芳本光司は、被告工場から発せられる前記振動、騒音及び煤煙につき大阪府庁、大阪市役所、消防局等へ出頭して被害の実情を訴え監督官庁としての善処方を要請したが、その出頭は相当多数回に亘り交通費等にもかなりの金員を要したことが認められるが、その出費の具体的時期、金額、回数等が明らかでなくこれを確定すべき証拠もないから財産的損害として原告の主張金額(二〇、〇〇〇円)を認めることはできない。

次に<証拠>によれば、昭和三七年一一月、原告は原告家屋の屋根瓦の葺替を行ないこれに八五、四三五円を出費したことが認められる。しかし右出費と、被告工場のプレス機の発する振動との間に因果関係がある旨の原告主張の一部に副う証拠としては、証人芳本ヒデノの証言及び原告本人尋問の結果があるが、右証拠のみでは充分ではなく、他にこれを補足する的確な証拠もない。そうすると右出費もまた被告の前記不法行為による損害である旨の原告主張は採用することはできない。

以上のとおりであるから、原告の蒙つた財産的損害は合計四三、七〇〇円である。

(二)  原告に対する慰藉料

原告が、被告工場の操業時に発せられる前記認定の各種侵害により、長期間に亘り精神的に多大の苦痛を強いられてきたことは明らかであるが、その侵害の態様、性質、程度、被告工場の作業時間、原告自身の営業活動への障害、その他一切の事情を斟酌すると原告の精神的苦痛に対する慰藉料の額は三〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

六被告は民法七二四条の短期消滅時効を援用するので考えるに、生活妨害のような継続的不法行為に基く損害賠償請求権の消滅時効は、その妨害が止んだ時からではなく、被害者が加害者を知つている限りにおいては、損害が発生するたびごとに、各別に時効期間の進行が開始されるものと解すべきところ、既に認定したように、原告は昭和二九年頃からしばしば被告に対し、被告工場の作業時に発せられる振動、騒音及び煤煙につき抗議を申入れていたのであるから、その時点で既に加害者を知つていたことは明らかであり、従つて前項(一)の財産的損害についてはその出費がなされた時から時効期間が開始したものである。そうすると、前記屋根瓦の修復費用三、七〇〇円については昭和三一年暮頃に、タイル破損の修理費用二〇、〇〇〇円については昭和三二年中に、また畳の表替費用二〇、〇〇〇円については昭和三三年中、それぞれ民法七二四条の三年の時効が完成したものというべきであるが、原告が右各出費につき損害賠償の訴を被告に対して提起したのは、右時効完成後の昭和三四年四月七日であることは本件記録上明らかである。そして原告は右時効につき中断事由となるべき事実につき何ら主張立証しないから前項(一)の財産的損害四三、七〇〇円について被告が負つていた賠償義務は時効により全部消滅したものといわざるを得ない。

七原告は、今後も継続することが予想される違法な騒音侵入を防止するため被告に対し、二重煉瓦塀の設置を求めるので考えるに、およそ平穏で快適な生活を営む利益は何人に対してもこれを認めなければならず、かかる利益が故意又は過失により違法に侵害される場合には不法行為となり加害者は右侵害により発生した損害を被害者に対して、原則として、金銭で賠償しなければならないことは民法七〇九条により認められるところであるが、更に進んで、右違法な侵害が将来に亘つて反復継続されることが予測される場合に、不法行為の効果として当該違法状態自体を排除若しくは予防するため、加害者に一定の作為義務を課しうるか否か、換言すれば具体的な(騒音等)防止措置を裁判所が命じうるか否かについては、民法は特に言及していない。しかし単に過去に発生した損害を金銭を以つて填補するのみでは、被害者の実質的救済が無意味になる場合がありうるし、そのような場合違法な状態の発生自体は避けられないから、常に被害者の生活権が脅かされ日々苛酷さを強いられる結果になるが、法律が沈黙しているとの一事を以つてこれを私法的に放置することは健全な国民感情から見てとうてい是認しがたいところである。平穏で快適な生活を享受する利益は社会生活上基本的なものであり、若しそれが侵害された場合その侵害の度合が強まれば強まる程その結果たる精神的苦痛は金銭賠償に親しまない性質を具有するに至るとも考えられるから、少くも本件のような生活妨害の事例において、著るしく強度の違法性が認められ、且つ加害者において附近住民との紛争発生後も騒音等を防止するために相当な努力を払つた形跡がみられなかつたり、又は被害者らに何ら防止措置をとる必要はない旨公言しているような事情があつて将来にもその違法状態が反復継続されることが客観的に明白な場合には、被害者がそのような著るしい違法状態があるのを知りつつ敢てその場所へ移り住んだ等の特段の事情のない限り、不法行為責任の特殊な効果として一定の作為義務が加害者に発生し、従つて裁判所は加害者に対し騒音等の侵入防止のため具体的な措置を命じうると解する。(被害者の土地又は家屋の所有権、若しくは、人格権等いわば権利の作用として右と同一の効果を認めようとする立場もあるが、この種紛争の実態を重視すれば不法行為の特殊な効果として認める方がより妥当であり、民法七二三条の存在はかかる見解を当然の前提にしているように読みとれる。)尤も右防止措置を講ずることにより、加害者(事業主)が本来自己所有の土地建造物を使用して自由に行ないえた生産活動、企業経営等が事実上制約を受け却つて犠牲を蒙ることが通常であるから、右具体的措置の内容は、被害の態様と程度に見合つた必要最少限のものでなければならない。

右の見地から本件をみるに、原告が受忍すべき音量の限度は本件にあらわれた一切の事情を考慮すると原告家屋内において建具開放時六〇フォンまでと認められ、これを超える場合に違法になると解せられるところ、被告工場のプレス機の作動により侵入する騒音は、原告家屋内において建具開放時A室で64.7フォン、B室で60.6フォンであり、六〇フォンを超える騒音の継続時間又は頻度はA室で約三五%、B室で約一〇%であり、また被告工場の作業時間は日中に限られていることは先に認定したとうりであり、本件全証拠及び弁論の全趣旨からは残業がなされる日数もさほど多くないことが窺われる。加うるに、原告家屋附近は住居地域としては比較的騒がしい部類に属する等の事情もあるのであるから、これらを総合すると被告工場が現に発している騒音のもつ違法性の程度が著るしく重大であると解することはできない。そうすると原告が求める二重の煉瓦塀の設置が、本件の騒音侵入を防止するに必要最小限のものであるか否かにつき判断するまでもなく、原告の前記請求は理由がない。

八次に原告は、被告工場のプレス機による鉄板の打抜き及び型押は現在厚さ二耗の鉄板について行つているがこれを建築基準法上是認されている厚さ0.5耗のものにまで制限すべきである旨主張するので判断する。建築基準法四九条一項が、「住居地域内において、別表第二(い)項に掲げる建築物は、建築してはならない。ただし、特定行政庁が住居の安寧を害するおそれがないと認め、又は公益上やむを得ないと認めて許可した場合においてはこの限りではない。」と規定し、同法別表第二(い)項四号の二は、「厚さ0.5耗以上の金属板のつち打加工又は原動機を使用する金属のプレス若しくは切断」を掲げていることは原告が指摘するとおりである。しかし同法は国民全体の生命、健康及び財産の保護を図るという公益上の見地から、個々具体的な建築物の安全性や衛生状態を確保し、同時に当該建築物が都市全体の健全で機能的な発展を阻害することのないよう、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関して技術的基準を設けこれを規制する行政上の取締法規であつて、隣接地所有者(又は利用者)間の私的な利害紛争を調整することを目的として制定されたものではないから、同法の条文が直接の根拠となつて原告主張のような私法上の不作為請求権が発生するものでないことは多言を要しない。そして建築基準法は同法に違反する建築物が新に建築されようとし又は現に存在する場合には、特定行政庁(本件の場合は大阪市長)が同法に規定する一定の手続をふんで当該建築物の除去、移転、使用禁止、使用制限等違反是正のため必要な措置を命ずる権限を有しているのであるから、原告としては、企業の生産活動の内容そのものと密接不可分の関係にある工作機械の使用制限を欲する場合には右権限の発動を促すことによつて事実上その期待する結果を実現することが可能である。しかし行政法上違反是正若しくは排除の手段があるからといつて常に必ずしも同種の私法上の請求権が否定されるとは限らないのであつて、民事上は不法行為の特殊な効果として原告主張の機械の使用制限という具体的な不作為請求権を認めうるか否かの問題に帰着するというべきである。そうとすれば、既に述べたように、原告が享受しうべき平穏な生活が現に侵害されており、将来に亘つてもこれが継続されるであろうことが客観的に明白であり、且つその違法な侵害の程度が重大である場合に初めて金銭賠償に代え若しくはこれと合わせて違法状態の排除、予防につき、侵害者に対し具体的措置を命じうると解すべきところ(右措置の内容が作為であるか不作為であるかによつてその間に差異を設くべき実質的な理由は見出しがたい)、本件においては、違法な侵害の程度が重大であるとは認めがたく、従つて被害者たる原告の救済が金銭賠償によつてまかないきれないとは言えないから、原告の前記請求は理由がない。

九原告は予備的請求として、「被告は原告所有地内に六〇フォン以上の音量を侵入させてはならない」旨の判決を求めるので按ずるに、民法七〇九条の不法行為が成立する場合にその効果として加害者が被害者に対し負担すべき義務は、原則として、金銭による損害賠償義務であつて、他の義務例えば妨害の排除あるいは予防等の義務は、当該不法行為における違法な侵害の程度であり、このため被害者が現に侵害を受けている人格的利益(平穏で快適な生活を享受しうべき利益)と両立せず単なる金銭賠償によつてはその救済が充分でない場合に初めて認められるべきところ、本件においては、被告工場の作業時間中におけるそのプレス機械等の運転によつて発せられる騒音が、原告の受忍限度である六〇フォンを超えて違法に原告家屋内に侵入している事実はあるが、その違法な侵害の程度が、原告所有の土地家屋を取りかこむ生活環境その他の諸事情下において特別重大であるとは認めがたいことは既に第七、八項で述べたとうりである。そして、六〇フォン以上の音量を侵入させてはならない旨の不作為義務の履行は、実際上は、被告が何らかの騒音防止措置を講じるということに外ならず、唯、具体的に如何なる騒音防止措置を実行するかの選択自体が被告の意思にかかつているにすぎない。原告は、右判決を得ることによつて、被告の自由な選択に基づき適切な防音措置がとられることが期待できる旨主張するが、不法行為が現に行なわれており、客観的に見て将来に亘つてもこれが継続するであろうことが明らかである場合には、将来発生すべき損害につき予め金銭賠償の給付判決を得る訴訟法上の手段も存在するのであるから、これによつて間接的に、被告が防音措置をとるべきことを期待することが可能であり且つ現実的でもあるのであつて、前記の煉瓦塀設置請求、あるいは、プレス機械の使用制限請求について述べたところと異なるところはない。そうすると原告の予備的請求も亦理由がないというべきである。

一〇以上述べたところより、原告の主位的請求のうち、金三〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年五月二一日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であつて理由があるからこれらを認容するが、主位的請求のその余の部分、及び、予備的請求は理由がないからこれを棄却し、民訴法八九条、九二条本文、一九六条一項を適用し主文のとおり判決する。(白井美則 上田耕生 田中宏)

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